怖いのはコロナではなく全体の同調圧力
ウィズコロナの時代
コロナウイルスとの戦いはすでに3年目に入っている。マスクを着用して外出している風景が当たり前のものとなった。コロナウイルスは未知のものから既知のものとなりつつある。
感染対策もすでに浸透しているなか、いつまでも感染者数を追いかけていても仕方がないのではないだろうか。
問題はコロナで重症化し命の危険があるかどうかであって、感染してしまうこと自体に問題があるわけではない。
そのことを見ずに政府は分科会の意見をもとに行動の制限を要請する。今収束に向かいつつあるオミクロン株は重症化リスクが低いという分析結果がある。重症化しない(リスクが低い)のであれば、コロナウイルスも季節性インフルエンザと同様の5類指定にするべきなのではないだろうか。その指定区分により一般の病院でコロナ感染者の診察を行わないことが、病床数の不足、一部病棟の医療逼迫につながっているのだという。
まずはコロナウイルスを2類指定から5類に見直す。そして一般の病院で診察できるようにする。このことにより、国民の不安も少しは解消され、安心してコロナに感染でき、経済回復の兆しも見えて来る。変えるべきは医療のあり方なのではないだろうか。
「空気を読む」コロナ対策
コロナウイルスは弱毒性のウイルスだということはコロナ禍の経験と知識によってすでに知られていることだ。
それでも連日マスコミは感染者数や死亡者数、感染対策の重要性、ワクチン接種率とその予防効果をしきりに報道する。
事実を受け止め、冷静に対応することがコロナ騒動を収束させることにつながるはずなのだが、世間はそうにはなっていない。
本当はみんなコロナはそんなに心配するほどのウイルスではないことに気がついているはずなのに、マスコミが煽ることや、社会全体で感染対策に取り組んでいることを自分だけ否定することに対する恐怖感が、依然騒動が収束しないことになってしまっているのではないだろうかと思う。
みんな知っている。
だけど自分だけはみ出すことは怖い。相変わらず空気を読むという日本独特の文化がここでも仇になってしまっているようだ。