人生は命のバトンをつなぐ物語
人生の運気を変える上機嫌
上機嫌でいるというのは、楽しいことを期待するのではなく、起こることを楽しむと決めるということ。
上機嫌でいれば、自分の人生を変える運気を摑むアンテナの感度がよくなり、人生が変わり始める。
世の中は誰かが頑張る姿からもらったエネルギーの集合体
それぞれの時代に生きた人が、延々と続く命の物語の一部を精一杯、自分の役割を果たすように生きてくれたから、次の世代は、前の世代よりも〈いい時代〉に生まれ育つことができるようになる。
そして今あなたが、その命の物語というバトンを受け取って生きている。
真のプラス思考とは
プラス思考というのは、自分の人生でどんなことが起こっても、それが自分の人生においてどうしても必要だから起こった大切な経験だと思えること。
使う運より貯める運の方が多い生き方をする
「あの人誰よりも運がいいなぁ」って誰からも思われる。だけど、本人にしてみたら、使った運は、自分が貯めた運のほんの一部分でしかない。
あらすじ
運を好転させる者「運転者」
主人公は保険の営業を担当するサラリーマン。
顧客からの半年前に契約した大口の保険契約の突然の解約を突きつけられ、今後の身の振り方に戸惑う中、突然夫を亡くした母からの電話にイライラと不安が心に渦巻く。最近不登校を続ける娘について、学校の先生との面談に出向くため乗り合わせたタクシー運転手(運転者)と出会い、不思議な体験を得ていくなかで、人生が変わっていくこととなる。
本書をおすすめする人
・自分に運がないと思っている人
・生きる意味を見出せずにいる人
自分が見ている世界は、全て自分が作り出している。そのことに気付けない人は多い。
「なぜ自分はこんなにも不幸なのか?」
「なぜこんなにも自分は才能がないのか?」
「こんなにもがんばって何になるのだろうか?」
「何のために生きているのだろうか?」
「何で自分には運がないのだろうか?」
全て周りの環境や対人関係にその原因を押し付け、自分を悲劇の主人公に仕立て上げる。
全ては自分の心の写し鏡
でも、今目の前の出来事に悲観的になってしまうということも理解できる。
だから、何故そうあらねばならないのかということにこだわらず、まずは「そういうもんだ」と思い、
「上機嫌でいよう!」
「運は(いい)も(悪い)もない」
「結果に(良かった)も(悪かった)もない」
と信じてみることがてっとりばやい。
運というポイントを集めよう
本書で「ポイント」とよび、違う書籍では「徳」といい、自分が過去に友人の結婚式のスピーチでは「マイレージ」とよんだ、「運」を他人の幸せに貢献することで積み上げ、その残高から少し分け与えてもらう。
そのことが、いい運をいただくことであり、他人から見れば、少し運が良さそうな人と見えるのだ。
今目の前の出来事に上機嫌に向き合い、他人の幸せを願う心の成長を実感しながら、運を少し分け与えていただける人生を謳歌したいものだ。
「批判力」がフェイクを見抜く
自分のポジションは他人の「批判」により明確になる
「他人を批判する」
一見悪いもののように捉えてしまいそうになるが、自分のポジションを明確にすることを本書では「批判」と言っている。
熱狂が危険な思想に発展する
自分と違った他人の考え方を認めるという姿勢は大事にしなければならないが、昨今のSNSによるフェイクに踊らされる熱狂的信者は、危険な思想を暴走しかねない。
危険な思想に偏ってしまい、何が正しくて、何が間違っているという2極化で物事を捉えるということにならないためには、違った側面から見た意見もあるのだということを理解し受け入れる姿勢が大事だ。
「批判」することはポジションを明確にすること
他人の意見を受け入れ認めることと、自分の意見を発せず黙っていることは別の問題だ。
声を出して自分のポジションを発信することが、多様な意見を出しあえる社会を生み出すことになるのだ。
日本人特有の同調圧力は、時にいいことのように思われるが、違った意見を排除する側面があるということを理解しておかなければならない。
フェイクに騙されないために
人の意見を「批判」することがフェイクに騙されないために重要であることは十分理解できるが、「批判」という言葉そのものが、自分の考えにはあまりなじまない。
批判は「それに対してどう思うのか」という自分の意見とセットでなければならないと考える。
自分の意見を明確にしてポジションを取らなければ、自分の頭で考えずに人の意見を鵜呑みにしたり、人の意見をあたかも「自分の考え」と錯覚して熱狂に興じてしまうこととなってしまうのではないだろうか。
分かりやすい言葉による洗脳
現代社会は白か黒で判断できないような答えのない問題であふれている。
そんな中、SNSなどを通じて単純で分かりやすい言葉を発信する人に支持が集まりやすい傾向にある。それは自分の頭で考えることをやめている人が多いからではないだろうか。
複雑に入り混じった情勢は、そんなに単純に解決できるものではない。
そういった分からないことにフタをし、自分の頭で考えることをやめ、分かりやすくいこごちのいいポジションを与えてくれることに、人は簡単に洗脳されてしまうのだろう。
自分の論理に批判する「批判力」
批判は他人の意見に対してだけでなく、自分の考えにもしてみることが大事だ。
自分の考えを別の論理で戦わせてみることで、自分のポジションがどこにあるのかが見えてくる。その行為こそが「自分の頭で考える」ということなのだ。
「批判力」をうまく利用し、フェイクにあふれた現代社会を自分のポジションで騙されないよう生きていこう。
人生の意味を見出すための「学習」
「蛍雪」:苦労して学問をすること
なぜ勉強をしなければならないか
なぜ勉強をしなければならないのかということを、将来自分が苦労しないためにするものだと言って、自分の子供たちに話をした記憶がある。
いい学校に行っていい会社に就職しても幸せになれるかどうかなど決まってもいないのに、大概勉強しなければならない理由をそのように親は説明する。
勉強する意味をしっかり納得させるにはどうすればいいのか、以前から思い悩んでいたが、本書はそれを見事に分かりやすい言葉で説明してくれる。
勉強は自分を磨くための道具
人生に意味などなく、自分の行動の結果に人生の意味を見出すものだ。
自分のなりたい姿の実現のために行動することにより、自分はなりたい姿に近づいていると実感できることが、自分の人生の意味となり、幸せを実感できるのだ。
その実現のための道具が勉強である。
勉強や生き方を苦にしたさまざまな社会問題が山積みとなっている昨今、本書を手に取り、一人でも多くの人が、日々の勉強の習慣で心のゆとりを手に入れてもらえたらと思う。
「ちゃんとすること」の意味を考える
芥川賞受賞...?よく分からん。
まあ、面白くない小説だ。
オーディブルで聞き進めたが、苦痛でしかない。途中で諦めた。芥川賞を受賞に至った理由やポイントは自分にはさっぱり分からない。
途中で読み進めることを諦めたので、真に問いたいことは何かわからないが、自分なりに本書を読み進めた途中までから解釈してみる。
「ちゃんとする」こととは?
この作品はメッセンジャー(自転車配達員)を生業とする主人公を通じて、「ちゃんとしなければならない」が、それが「何か」がわからないという心の葛藤を描き、「ちゃんと生きる」とはどういうことなのかを問うものだ。
メッセンジャー(自転車配達員)として、なけなしの手取りでなんとか日々生計を立てながらも、「このままでいいのか?」「ちゃんとしなければダメだ」と自問自答を繰り返す。
これまでに何度か就職はしたものの、どこも長続きせず、なんとなく今の仕事を続けている。
「ちゃんとする」とは何なのか、その答えはどこにあるのか自問自答するも、自転車で滑走するその境地に逃げ込むこととで考えることをやめ、また同じ葛藤を繰り返す。
「ちゃんとする」とは何か?
「ちゃんとする」とは、
「自分は自分の思い描いたとおりに生きることができている」ということだ。
反対に「ちゃんとできていない」と思うのは、自分が思い描く理想の姿に対してギャップを感じている状態のことだ。
もし「ちゃんとできていない」と感じているのならば、自分の中に漠然とではあっても「ちゃんとしている」イメージがあり、それと乖離している自分を認識しているからだ。
「ちゃんとする」ということ
「ちゃんとする」ためには、自分がこうありたいという理想の姿をしっかり言語化して具体的イメージすることが重要だ。
どうありたいのかが不明確だから、今の自分がどういう状態なのか、ちゃんとできているのかと悶々と悩み不安を抱えることとなる。
「ちゃんとする」に正解はない。
また他人から「ちゃんとしている」と承認してもらう必要もない。
「ちゃんとしている」と承認するのは、自分に嘘偽りなく、イメージした理想の姿につながる行動を実践している自分自身でいい。
自分に言い訳をするな!
理想の姿を具体的にイメージし、言い訳せず自分を裏切らない日々の小さな積み重ねの行動ができていることが、「ちゃんとする」ということなのだ。
「得る」ことを望むなら、まず自分は何を「与える」ことができるのか
全てはGIVE &TAKEの言葉のとおり
何かを「得る」ことを望むなら、まず自分は何を「与える」ことができるのかを考えなければならない。
もらえないことに不満を持つ人たち
どの会社にも給与に不満を抱え、適当にやり過ごしている社員が少なくない。
また、自分に対する会社の評価に不満を持っている人も多いだろう。
「マジメにやっても正当に評価されないのに、こんな給与でやってられない!」と言いながら。
一部の社員のがんばりが大きく貢献している
しかし、そういう状況においても、評価や給与を気にぜず、日々仕事にやりがいを感じ、会社にまた、社会に貢献しようと努力を惜しまない社員もいる。
そういった社員は少数派なのかもしれないが、一部の社員のがんばりが会社に大きく貢献しているといえる。
それは言わば他の社員の適当な仕事をカバーしているということだ。
ご褒美は先にねだってはいけない
「そんなの不公平だ!」と思う気持ちも理解できる。
しかし、その姿勢こそが会社に認められ出世することとなり、のちにそのポジションに見合った給与をいただけることなるのだ。
他の社員の分まで働き、会社にそして、社会に貢献した分だけ後からいただく。
とても理にかなった正当な仕組みだ。
お客様へのサービスもまず「与える」から
これは、お客様への対応も同じことだ。
お客様の期待を満たし(満足)、それ以上のサービスを提供する(感動)するから、お客様はそれに対し、感謝(報酬)していただけるのだということを忘れてはいけない。
決して「仕事をしてやっている」ということではないはずだ。
お客様は、数ある企業から当社を選択していただいたのだから。
「与える」から「得る」ことは必然
「与える」から「得る」ことは、どの場面においても必然なのだということを理解しておくことが、自分の行動に大きく影響するのだ。
人間は承認欲求の強い生き物
称号を与えるということ
人に自分がこうなってほしいと思う場合は、先にその人になってほしいと思う「称号」を与える。称号を与えられた人は、その称号どおりの人間になろうとする。
人間は承認欲求の強い生き物
「自分は人の期待に応えることのできる社会に必要な人間だ」という実感を得るということを「目的」に人は行動を起こす。「称号を与える」ということは、その人の欲求を満たすきっかけを与えているということだ。
「すべての人にはあらゆる性格が備わっている」
他人の期待に応えるために、人はそのシーンで色々な一面を見せる。そのうちのどれが本当の自分で、どれがウソの自分というものではなく、その時々で使い分けるすべてが自分の承認欲求を満たす目的のもとに表出した自分自身の一面なのだ。
人を変えるための称号付与はNG
ただ、他人をコントロールすることを目的に、無意に他人に称号を押しつけ、色々期待し過ぎてはならない。承認欲求の強い人は、その期待に完璧に応えようとするがあまり、心を壊してしまうかもしれない。また、期待に応えられない自分自身に自己嫌悪を感じてしまうことにつながりかねない。
自分の評価を他人に委ねない
他人の期待に応えられているかどうかを、他人の評価に委ねてはならない。他人の評価は人それぞれ捉え方が違って当たり前。他人の評価を自分がどうやったところでコントロールすることなどできない。他人の曖昧な評価に振り回され、自己嫌悪に陥ってしまってはいけない。
自己肯定感を養うための努力を惜しまない
「人の役に立っている行動が自分はできている。これでいい」と評価するのは自分自身でいい。そのために、自分を裏切らない、自分の成長を止めないことが自己を肯定するために必要なのだ。あらゆる機会を通じて自分磨きをすることは、自分の人生を豊かにするために必要なのだ。
「国家主義者」の不満が侵略を選択する
日本とロシアの問題について
プーチンが日本に期待していることは、日本がアメリカに縛られず自国の国益に基づいた主権をどこまで示せるかということだ。
日本の置かれた立場は、
①北方領土問題解決というロシアとの関係
②ロシアによるクリミア半島併合という主権侵害に反対する西側諸国との同盟関係
③自国の領土をアメリカに守ってもらっているアメリカとの安保関係
ロシアとの交渉がうまくいかないのは、日本はどれを優先的に考えているのかというスタンスがロシア側にとって不明瞭であることだ。
日本はアメリカの防衛力なしに自国を守ることができないことから、アメリカとの安保条約はなくてはならない。
一方でロシアによる他国侵略行為に反対を示さなければ、容認していることと同じであり、自国が侵略されても文句は言えない。
そういった中、ロシアとの北方領土問題をどのように解決するべきなのだろうか。日本はそもそも北方領土を返還してもらう意義は何か?
①元々日本の領土だったから
②条約を一歩的に破棄したのはロシアだから
では返還してもらったあと、その領土をどうしようとしているのか?
結局日米地位協定に基づきアメリカにいいように使われるだけなのではないのかというロシアの懸念はよく理解できる。
ロシアは国防に敏感な国。
アメリカとロシアのいがみ合うもの同士の間に入って、それぞれ片方の手でそれぞれの国と握手をしたいという日本の都合のいい交渉では、今後もプーチンを納得させることはできないのではないだろうか。
昨今のウクライナ戦争について
ロシアによる一方的な軍事侵攻はどんな理由があっても許されるものではない。
しかし、そうした意見はロシア側の言い分を把握したうえでの批判となっているのだろうか?
あくまでも今のウクライナ戦争は、ロシアとウクライナとの2国間の問題であって、他国が直接関わるものではないかも知れない。
ソ連崩壊によりロシア西側の連邦国は次々とEUに加盟した。そのことはプーチンも経済協力の重要性を理解しており問題視していない。
しかし、それらの国がNATO(北大西洋条約機構)へ加入することを問題としている。
NATOは対ロシアのための軍事同盟である。
ロシアの立場からすれば、我々は欧米各国と良好な関係を築こうとしているにも関わらず、なぜ我々を敵視した軍事同盟の加入が必要なのかというところだろうか。
そういった視点で考えてみるとウクライナはなぜNATOへの加入を目指しているのかということも理解しなければならない。
どちらにも言い分がある。単純な「善」「悪」の2極化の問題ではなさそうだ。
この戦争の終結はどのようにむかえることとなるのか。そしてプーチンの本心はどこにあるのだろうか。
世界の大国の防衛費増加について
人類は未だ武器を捨てることができないでいる。
ウクライナでは戦争犯罪と言われるロシア軍による一般人の虐殺が行われ、各国はロシアに更なる追加制裁を行うこととしている。第2次世界大戦以降、最も世界が緊張状態となっている。
全ての始まりは核を人類が手にした瞬間から始まったのではないだろうか。
あの大量虐殺兵器を保有している国からの脅威を思うと自国の防衛力を強化しなければ太刀打ちできないといった心境も理解できる。
そういった負の連鎖が武器を捨てさせることができない世界をつくりあげてしまっている。
核の保有こそが国家の強さであるということが、戦争がなくならない世界を作り出してしまっている。
人間以外の生命は、自らの幸せのため自然と共生共存し日々の暮らしを安らかに営んでいるというのに。
人間は本当にこの地球において進化した高尚な生き物なのだろうかと疑ってしまいそうだ。
プーチンの行動原理について
プーチンはソ連の崩壊を機にユーラシア経済連合を構築したいと考えていた。
ソ連を構成する連邦国はそれぞれその経済連合によってつながり、ゆくゆくはEUとの経済連携にもつながっていくことを期待していた。
その思惑とは裏腹に各国は欧米側のEUに次々と加盟していく。まるでロシアを拒否するかのように。
それだけにとどまらずNATOの軍事同盟にまで加盟し、ロシア近郊の東欧にまで拡大し範囲を広げ続ける。
各国と連携を希望しているプーチンとしては「なんで我々を毛嫌いするのか、またそれだけにとどまらず我々を敵国とする軍事同盟に加盟するのはなぜか!」といったところだろうか。
だから「我々の言う通りにならない奴らはけしからん!」といった行動に出ているのがこれまでのロシアを取り巻く一連の問題となっている。
嫌われるには嫌われるなりの要因があるはずだ。
一方的な感情を押し付けられても、受け入れる側がそれに納得できなければ拒否されても仕方ないのに、受け入れてもらえないことに勝手に怒りだし、軽率に他国に侵略することは、身勝手極まりない。まるで子供が癇癪を起こしているようだ。
冷静になって考えれば大人だったらそのことに気づいて然るべきだと思うのだが、なぜこんなことにすら思いを馳せることができないのか理解に苦しむ。
なんでも自分の思うようにならなければ気に入らないという一人っ子のような状態になっているから、自分を俯瞰して見ることができないのだろうか。
また、他の人の意見を受け入れ自分の行動を見つめる謙虚な姿勢なしに、他人に受け入れられたいなどというのも身勝手な話だ。
自分を受け入れてもらうためには、まずは自分が変わらなければならない。
それは大きな国と国との話に限らず、人間が分かり合える原点ともいえるものであるはずだ。
それにも関わらず、我々は強いんだぞ!といって大量虐殺兵器をちらつかせ、言うことを聞かないとぶっ飛ばすぞと言わんばかりに脅してくる人に誰が一緒に手を取り合って頑張っていこうと思えるだろうか。
せっかくいいアイデアを持っていてもそれでは分かってあげようと思ってもそうはいかない。
お互いに手を取り合える関係の構築なしには何もなし得ない。
脅して屈服させることは憎しみや悲しみの負の連鎖をもたらす。
人々が分かり合える方法はすでに答えがあり、みんな知っているはず。
世界は未だ一つになれず大人になれないでいる。
ユーラシア経済圏を構築して、EUや中国のシルクロード経済圏との連携により、ロシアの国益をあげたいという理念のもとに行動しているという。
しかし周辺各国はその理念を知ってか知らずかロシアから離れようとし、それを阻止したいロシアの軍事侵攻が行われる歴史が続いている。
それらの行動は各国から見たら身勝手な行動と写り、ロシアを経済的に孤立させるべく制裁を加えることになり、プーチンの思惑とは真逆の結果となってしまっている。
どんな高尚な理念を掲げていても、各国の主権を一方的に脅かす軍事侵攻は許されるものではない。
今のウクライナ侵攻においても、世界はどのようにロシアと向き合っていけばいいのか模索が続いている。
対話による解決を目指すのなら、まず相手(プーチン)が何を求め何を不満と思っているのかを理解する姿勢が必要なのではないだろうか。
一方的に「軍事侵攻は良くないことだ!」「ロシアは軍を即刻撤退させるべきだ!」と言ったところで、おそらくプーチンの心境は変わらないだろう。
経済制裁で軍を動かしにくくすることも必要だが、やはり対話による解決を目指すのならば、まず相手の言い分は何かのかを聞き、理解出来ること、できないことを相手に伝えるという姿勢が大事なのではないか。
旧ユーゴスラビアでの相次ぐ独立に対するNATOの軍事介入と、ウクライナでのクーデターによる政府転覆をきっかけとしたクリミア併合に対する欧米の対応はプーチンから見たら辻褄が合わないことに不満を感じているという。
そのことを真剣に議論し何が世界を歪めてしまっているのかをお互いが納得の行くまで議論をし尽くすことが、今後の和平に至るプロセスには欠かせないものではないのだろうか。