「ちゃんとすること」の意味を考える
芥川賞受賞...?よく分からん。
まあ、面白くない小説だ。
オーディブルで聞き進めたが、苦痛でしかない。途中で諦めた。芥川賞を受賞に至った理由やポイントは自分にはさっぱり分からない。
途中で読み進めることを諦めたので、真に問いたいことは何かわからないが、自分なりに本書を読み進めた途中までから解釈してみる。
「ちゃんとする」こととは?
この作品はメッセンジャー(自転車配達員)を生業とする主人公を通じて、「ちゃんとしなければならない」が、それが「何か」がわからないという心の葛藤を描き、「ちゃんと生きる」とはどういうことなのかを問うものだ。
メッセンジャー(自転車配達員)として、なけなしの手取りでなんとか日々生計を立てながらも、「このままでいいのか?」「ちゃんとしなければダメだ」と自問自答を繰り返す。
これまでに何度か就職はしたものの、どこも長続きせず、なんとなく今の仕事を続けている。
「ちゃんとする」とは何なのか、その答えはどこにあるのか自問自答するも、自転車で滑走するその境地に逃げ込むこととで考えることをやめ、また同じ葛藤を繰り返す。
「ちゃんとする」とは何か?
「ちゃんとする」とは、
「自分は自分の思い描いたとおりに生きることができている」ということだ。
反対に「ちゃんとできていない」と思うのは、自分が思い描く理想の姿に対してギャップを感じている状態のことだ。
もし「ちゃんとできていない」と感じているのならば、自分の中に漠然とではあっても「ちゃんとしている」イメージがあり、それと乖離している自分を認識しているからだ。
「ちゃんとする」ということ
「ちゃんとする」ためには、自分がこうありたいという理想の姿をしっかり言語化して具体的イメージすることが重要だ。
どうありたいのかが不明確だから、今の自分がどういう状態なのか、ちゃんとできているのかと悶々と悩み不安を抱えることとなる。
「ちゃんとする」に正解はない。
また他人から「ちゃんとしている」と承認してもらう必要もない。
「ちゃんとしている」と承認するのは、自分に嘘偽りなく、イメージした理想の姿につながる行動を実践している自分自身でいい。
自分に言い訳をするな!
理想の姿を具体的にイメージし、言い訳せず自分を裏切らない日々の小さな積み重ねの行動ができていることが、「ちゃんとする」ということなのだ。